腮 鬚長 あごの ひげなが
   


謡曲より 〇石神〇 いつまでも
契り尽せぬ 高砂の松
6p×35p

寛政10年(1798)生〜元治元年3月23日(1864年4月28日)歿
 江戸時代後期の狂歌師。本名は篠野春泉。
 岡山藩家老周匝池田家の臣で、医術をもって主家に仕えたが、才智にたけ、狂歌・狂詩をよくした。
 号は、「小士医下 新 昼夜言 耳元近 入道 木枕 廼 意大尽 半白 腮鬚長(しょうしいげしんちゅうやごんみみちかにゅうどうまくらのいだいじんはんぱくあぎとのひげなが) 。「小士医下」とは岡山藩主の「正四位下」と武士身分で下の方の医者であり、「昼夜言」は「中納言」を掛けている。栄町鐘撞堂の側に住み、耳元近くで鐘が昼夜ゴンゴンなり「木枕」で聞いたので頭も痛い(「意大尽」。「右大臣」を擬している)。あごひげは半分白くて長い、という意味の号で、 「半白」は「関白」 を擬している。
 また、美鬚を蓄えたところから「腮鬚長(あごの ひげなが)」、紙屋町に住居したところから「楮里」、城下栄町鐘撞堂の側に住み、耳元近くで鐘が昼夜ゴンゴンなるので「昼夜言耳元鐘近(ちゅうやごんみみもとの かねちか)」など。鐘撞堂は、寛文6年(1666)年岡山市表町(旧栄町)に設置され、岡山城下に時刻を報せた。通称は別に「一方(いっぽう)」・「元鳳」などと号した。
約 50pもある長い鬚を蓄え、関白一条家から鬚袋を贈られた。
 才智にたけ、浮き世を達観した人で、世の中を斜に構えて観察し、時には自虐的に、時には社会風刺もしている。酒好きで、当時は世に聞こえる有名人だった。
狂歌集に『鐘近百首』がある。

推奨サイト
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000041908
https://kotobank.jp/word/%E7%AF%A0%E9%87%8E%E6%98%A5%E6%B3%89-1078257
http://archives.pref.okayama.jp/doc/%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E3%82%82%E3%82%93%E3%81%92%E3%83%BC%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E7%AC%AC4%E5%9B%9E.pdf#search=%27%E8%85%AE+%E9%AC%9A%E9%95%B7%27


参考文献一覧      HOME